3.11東北被災地視察 2013
南三陸町立戸倉小学校
南三陸町の防災庁舎の津波浸水高が14.16メートル、戸倉小学校周辺は20メートルを超えている。 「宇津野高台」の津波浸水高は20.71メートルで、神社周辺の本当にごく僅かな部分だけが津波を免れた。 10日に始業式を迎えた宮城県南三陸町の戸倉小は震災発生時、校舎屋上まで津波に襲われながらも、学校にいた児童全員が無事だった。 同校は最も早い場合には3分で津波が到達するとされた宮城県沖地震を想定し、校舎屋上への避難を検討し南三陸町の防災庁舎の津波浸水高が 14.16メートル、戸倉小学校周辺は20メートルを超えている。「宇津野高台」の津波浸水高は20.71メートルで、神社周辺の本当にごく僅かな部分だけが津波を免れた。 10日に始業式を迎えた宮城県南三陸町の戸倉小は震災発生時、校舎屋上まで津波に襲われながらも、学校にいた児童全員が無事だった。 同校は最も早い場合には3分で津波が到達するとされた宮城県沖地震を想定し、校舎屋上への避難を検討していたが、教職員のとっさの判断で高台への避難を選択し、 難を逃れた。隣接の戸倉保育所も戸倉小屋上への避難をマニュアル化していたが同様に高台に避難し、多くの園児が救われた。
陸前高田
最大震度6弱を観測した。地震に伴う津波が直撃し、死者は1700人以上で、被害がもっとも大きかった地域の一つ。 長い月日があったにも関わらず、現状はがれきの山が残り、津波の被害を受けた公共施設が残り、まだまだ復興という状況にはない。 多くの被災者は大変将来に対する希望が見えてこないと思っている。(2013.3現在)
気仙沼
気仙沼港から北へ内陸約500メートル。JR鹿折唐桑駅周付近に打ち上げられた排水量330トンの巻き網漁船、 第十八共徳丸は、「市民の間では保存に賛否両論で、3・11を風化させないために後世に残すべきという声もあった。 共徳丸は、福島県いわき市小名浜の株式会社儀助漁業の所有。総工費約6億円で、1991年に就役して以来、巻き網漁船として千葉、 青森沖でサバやイワシの魚群を追って収穫する主力漁船だった。(2013.3現在)
第24回 おいでヨ!!南三陸 福興市
震災に合う前、南三陸町は地元の商店街と観光でにぎわっている町だった。 今回、大津波で町の大多数が壊滅しが、南三陸町の地元商店街と町が手を取り合って再び幸せを取り戻すための催事を企画した。 この祈りを込めて「福が興る市」と命名して復興のシンボルとなる市を開催することとなった。 この日は、125団のスカウトたちも飛び入り参加で、「福興巻き」に挑戦した。
石巻・民宿「のんびり村」
宮城県石巻市の尾崎(おのさき)地区にある長面浦(ながづらうら)は、北上川河口に位置する漁港です。 3.11東日本大震災は、三陸石巻地方にも大きな傷跡を残した。漁業と民宿「のんびり村」を営む漁師の坂下さんは、 ご家族は無事だったものの船とカキ養殖施設・民宿は壊滅的な被害を受けました。 民宿「のんびり村」は、現在休業中です。牡蛎の殻むき台も津波で流されました。 今でもライフラインが復旧しない尾崎には、人が住むことはできません。漁協が閉鎖中なので、魚介を売ることはできません。 しかし夫妻は海へ出て、漁を再開しています。(2013.3現在)
南三陸歌津地区・民宿「高倉荘」
高橋さんは4ヶ月もの間、泊浜の2つの避難所600人のお世話を続け、90%の方を仮設に入居させた功労者。 物資の確保、コミュニティ運営等、大変難しい調整を続け、150人いた避難所で、どうしても50人を減らさなければならず、 若くて健康な人に頭を下げて避難所から出てもらったこともあった。「津波で道路が遮断され、この泊浜地区は完全に孤立した。 自衛隊と米軍に発見してもらったから助かった。10日くらいの間、米軍が船で物資を持ってきて、ヘリコプターからパラシュートにつけて物資を 落としてくれた。物資の落とし方の正確さは本当に驚いた」「震災から1ヶ月後くらいから、自衛隊の潜水艦救難艦『ちよだ』が来てくれたおかげで 地区の600人が40人ずつ船に行き、風呂に入ることができた。散髪もできた。本当に助かった」「自衛隊が遮断された道路を直してくれた。 町は何もしていない。県道も直していない」「水道が復旧したのは震災から3ヶ月後だ。それまでの間、水を確保するために、片道6kmの道を歩いた。 帰りにはボトル12本を担いでくる」「町議会議員は全然見ない。4/27には、避難所となった歌津中学校を、天皇・皇后両陛下がお見舞いに来てくださった。 議員は一度も避難所に来ていない」しかし、元来三陸の海は、日本最高の漁場のひとつ。漁にさえ出られればきっと復興できる。高橋さんは希望を捨てていない。 「泊浜のアワビは日本一だ。皇室にも献上している。両陛下がおいでくださったのはそういうご縁もあると思う。11/1にアワビ漁が解禁されるが、 調査ダイバーが潜って調べたところ、かなりの数のアワビがいることがわかった。豊漁のときは3時間で15トン取れるんだ」「タコが大漁だ。 2年分は取れそうだという見通しだ。9月中旬には秋ザケも始まる。港のかさ上げ工事も始まる予定だ。必ず復興してみせる」「うしろ向いてても、しょうがないんだよ」
石巻・大川小学校
石巻市釜谷地区の北上川河口から約4㌔の川沿いに位置する大川小学校は、全校児童108人の7割に当たる74人が死亡、行方不明となった。 釜谷地区はこれまでに津波が到達した記録がなく、住民は大川小学校がいざという時の避難所と認識していたこと、しかも、山と堤防に遮られていて 津波の動向が把握できない環境だったこと等が避難を遅らせた要因。5分で完了可能な裏山への避難が選択肢の後方となったのは、大川小学校に集まった 人々のほとんどに危機意識が欠けていたと言う。(2013.3現在)