東北被災地視察
南三陸町立戸倉小学校PTA親子行事 2016
今回のPTA親子行事の参加の背景には、4年前から友情のしるしとしてはじめてきた「版画カレンダー」と「絵手紙」での交流があります。 戸倉小児童とスカウトが、一緒に「スポーツ鬼ごっこ」で汗して、育成会とリーダーが心を込めて125団名物「お好み焼き」を焼き、笑顔の交流ができればとの想いで、 準備を進めてきました。時同じくして、団行事として「南三陸ふれあいプロジェクト」を進めてきた、ボーイスカウトさいたま8団も共同参加する事となり にぎやかなイベントとなりました。台風の影響であいにくの雨でしたが、新しい体育館でみんな仲良く走り回っている姿を見て、つくづくやってよかったなぁと思いました。 今でも戸倉小児童の半分以上は、仮設住宅から登校しており、中でも登米地区からの登校は片道1時間の道のりだそうです。 うれしいことは、今年2月に完成した、災害公営戸倉住宅(80戸)から、5名の児童が徒歩通学する事が出来きるようになったそうです。私たちが5ケ年計画で継続してきた 「GTプロジェクト」の最終章をしめくくるにあたり、被災者の心身のケアと共に被災地の復興が、どこまで進んでいるかをスカウトも大人も自身の目で見て心で感じて、 これからの友情につなげて行きたいと願っております。
育成会のみなさんのおかげです 2016
参加者の皆さんに、125団名物のお好み焼きを提供できたのも育成会のみなさんのおかげです。 ありがとうございました。使いなれた焼台を持って行った甲斐がありました。
はまなすcafe 旧のんびり村のみなさんと 2016
2013にのんびり村でお世話になりました。牡蛎の種付、船で牡蛎だなの見学、牡蛎の試食。牡蛎は苦手と言っていたスカウトたちも おいしい・おいしいと言って食べ始めたのには驚きました。それ以来、年末の団ハウス大掃除後の親睦会で、坂下さんの牡蛎を送ってもらい 野外で網焼きして食べるのがすっかり定着しました。
300人の命を救った五十鈴神社を参拝 2016
津波の脅威から自らの命を守ることができたのも日頃の準備・訓練のたまものです。私たちも連盟歌にある「準備 準備 かたきぞ準備 フレ フレ フレ」を 活動に活かして、戸倉小との絆をいっそう太くして行きましょう。
ひまわりハウス&高台住宅 2016
2013の視察の時にもお世話になりました。今回もお休みを返上して、快く迎えてくれた浅川人美さんに本当に感謝です。 自らもNECグループ「tomoni」プロジェクトでボランティアに参加しながら、南三陸「福興市」や体を張った支援に取組んでいます。 浅川さんが責任者を務める「ひまわりハウス」では、知的障がいを持ちながらも、幼い頃から絵を描くことに熱心だった地元在住の画家、田﨑飛鳥さんの個展が開催されていました。 浅川さんの説明に聞き入っていると、ドアが開き田﨑飛鳥さんご本人とお父さまが登場!わざわざ私たちに会いに来てくれたんです。 しかも、お母さまが切り盛りする『パン工房 母笑(ガガニコ)』の焼きたてパンを全員に差し入れにもって来てくれました。ひまわりハウスを後にし、高台住宅の屋上から 陸前高田の全景が見わたせました。大活躍していた土盛り用の巨大ベルトコンベアの姿は既に撤去され、トラックで運ぶと10年かかる仕事を1年間で任務を成し遂げたそうです。 来年には陸前高田の中心街が再生される予定とか。
陸前高田 巨大ベルトコンベア 2014
一本松付近に約3kmの巨大ベルトコンベアが設置され、山の土砂を直接現場に運搬している。 ダンプで運ぶと10年掛る作業が、2年に短縮できるスグレモノである。まるで採掘プラント(2014.5現在)
南三陸町立戸倉小学校 2013
南三陸町の防災庁舎の津波浸水高が14.16メートル、戸倉小学校周辺は20メートルを超えている。 「宇津野高台」の津波浸水高は20.71メートルで、神社周辺の本当にごく僅かな部分だけが津波を免れた。 10日に始業式を迎えた宮城県南三陸町の戸倉小は震災発生時、校舎屋上まで津波に襲われながらも、学校にいた児童全員が無事だった。 同校は最も早い場合には3分で津波が到達するとされた宮城県沖地震を想定し、校舎屋上への避難を検討し南三陸町の防災庁舎の津波浸水高が 14.16メートル、戸倉小学校周辺は20メートルを超えている。「宇津野高台」の津波浸水高は20.71メートルで、神社周辺の本当にごく僅かな部分だけが津波を免れた。 10日に始業式を迎えた宮城県南三陸町の戸倉小は震災発生時、校舎屋上まで津波に襲われながらも、学校にいた児童全員が無事だった。 同校は最も早い場合には3分で津波が到達するとされた宮城県沖地震を想定し、校舎屋上への避難を検討していたが、教職員のとっさの判断で高台への避難を選択し、 難を逃れた。隣接の戸倉保育所も戸倉小屋上への避難をマニュアル化していたが同様に高台に避難し、多くの園児が救われた。
陸前高田 2013
最大震度6弱を観測した。地震に伴う津波が直撃し、死者は1700人以上で、被害がもっとも大きかった地域の一つ。 長い月日があったにも関わらず、現状はがれきの山が残り、津波の被害を受けた公共施設が残り、まだまだ復興という状況にはない。 多くの被災者は大変将来に対する希望が見えてこないと思っている。(2013.3現在)
気仙沼 2013
気仙沼港から北へ内陸約500メートル。JR鹿折唐桑駅周付近に打ち上げられた排水量330トンの巻き網漁船、 第十八共徳丸は、「市民の間では保存に賛否両論で、3・11を風化させないために後世に残すべきという声もあった。 共徳丸は、福島県いわき市小名浜の株式会社儀助漁業の所有。総工費約6億円で、1991年に就役して以来、巻き網漁船として千葉、 青森沖でサバやイワシの魚群を追って収穫する主力漁船だった。(2013.3現在)
第24回 おいでヨ!!南三陸 福興市 2013
震災に合う前、南三陸町は地元の商店街と観光でにぎわっている町だった。 今回、大津波で町の大多数が壊滅しが、南三陸町の地元商店街と町が手を取り合って再び幸せを取り戻すための催事を企画した。 この祈りを込めて「福が興る市」と命名して復興のシンボルとなる市を開催することとなった。 この日は、125団のスカウトたちも飛び入り参加で、「福興巻き」に挑戦した。
石巻・民宿「のんびり村」 2013
宮城県石巻市の尾崎(おのさき)地区にある長面浦(ながづらうら)は、北上川河口に位置する漁港です。 3.11東日本大震災は、三陸石巻地方にも大きな傷跡を残した。漁業と民宿「のんびり村」を営む漁師の坂下さんは、 ご家族は無事だったものの船とカキ養殖施設・民宿は壊滅的な被害を受けました。 民宿「のんびり村」は、現在休業中です。牡蛎の殻むき台も津波で流されました。 今でもライフラインが復旧しない尾崎には、人が住むことはできません。漁協が閉鎖中なので、魚介を売ることはできません。 しかし夫妻は海へ出て、漁を再開しています。(2013.3現在)
南三陸歌津地区・民宿「高倉荘」 2013
高橋さんは4ヶ月もの間、泊浜の2つの避難所600人のお世話を続け、90%の方を仮設に入居させた功労者。 物資の確保、コミュニティ運営等、大変難しい調整を続け、150人いた避難所で、どうしても50人を減らさなければならず、 若くて健康な人に頭を下げて避難所から出てもらったこともあった。「津波で道路が遮断され、この泊浜地区は完全に孤立した。 自衛隊と米軍に発見してもらったから助かった。10日くらいの間、米軍が船で物資を持ってきて、ヘリコプターからパラシュートにつけて物資を 落としてくれた。物資の落とし方の正確さは本当に驚いた」「震災から1ヶ月後くらいから、自衛隊の潜水艦救難艦『ちよだ』が来てくれたおかげで 地区の600人が40人ずつ船に行き、風呂に入ることができた。散髪もできた。本当に助かった」「自衛隊が遮断された道路を直してくれた。 町は何もしていない。県道も直していない」「水道が復旧したのは震災から3ヶ月後だ。それまでの間、水を確保するために、片道6kmの道を歩いた。 帰りにはボトル12本を担いでくる」「町議会議員は全然見ない。4/27には、避難所となった歌津中学校を、天皇・皇后両陛下がお見舞いに来てくださった。 議員は一度も避難所に来ていない」しかし、元来三陸の海は、日本最高の漁場のひとつ。漁にさえ出られればきっと復興できる。高橋さんは希望を捨てていない。 「泊浜のアワビは日本一だ。皇室にも献上している。両陛下がおいでくださったのはそういうご縁もあると思う。11/1にアワビ漁が解禁されるが、 調査ダイバーが潜って調べたところ、かなりの数のアワビがいることがわかった。豊漁のときは3時間で15トン取れるんだ」「タコが大漁だ。 2年分は取れそうだという見通しだ。9月中旬には秋ザケも始まる。港のかさ上げ工事も始まる予定だ。必ず復興してみせる」「うしろ向いてても、しょうがないんだよ」